環境科学会と政策提言

こんにちは、とめです。
14日に環境科学会20周年記念シンポジウムに行ってきました。
参加されている方々は(他にも大学生はいましたが)研究者の人が多かったらしく、内容は研究者の視点に立ったものでした。全体を振り返ってみると、数ある“環境”研究学会の問題意識としては
・各学会が連携をとって(全体を俯瞰した)鳥瞰的な研究、政策提言を行うこと
・研究成果をもっと政策提言として行政側に提示していくこと
・“環境ちゃかし派”の言い分に如何に反論していくか
・メディアで如何に「環境問題」を表現し伝えるか
ということが挙げられるでしょう。特にメディアでは「分かり易いこと」が求められ、一辺倒な報道が成されています。しかしながらこの話については、政治にしても環境問題にしても分かり易いことなんてないのだ!分かり易さを求めるなんて日本人の頭脳をバカにしている!という講演者のメッセージが印象的でした。諸学会の研究者の方々も「メディアにおける表現」については難しさを感じているようで、それが研究学会と市民と行政3者の距離が縮まらない原因であるのではないかと思います。
やはり研究というものは社会に研究成果が還元されてこそ、研究の意義があるものではないかと思います。確かに純粋な探究心というものもあるかもしれませんが、研究費を国民が負担している部分もありますし、研究学会側としても市民としても、“学会は一般市民とはつながりが薄い学問という閉じた世界もしくは崇高な位置にある”という感覚があるのではないでしょうか。学会が超然的な位置にあるという感覚は一般市民としては“学会はかけ離れた存在で一般社会の世界とは違うのだ”という雰囲気が出されているようで寂しい感じがします。

確かに政治問題も環境問題も、複雑極まりないし未解明な部分が多いからこそ分かりにくいのであって、だからこそ大問題なのだと思いますしそれを分かり易く伝えろ、というのは受け手側の努力を想定していないと言えるでしょう。実際に私も環境問題に対する興味から政治を少しずつ勉強し始めて分かりにくいなぁと思いますが、勉強していくとちょっとずつ面白いなとも感じられるようになりました。だから政治とか、使われる表現、用語が難解なまま伝えていいのかもしれません…。
ですが、入り口を広げるという意味でLobbyingは大切ですしそのために「分かり易さ」も「メディアでのLobbying」もかなり重要だと思います。ただしそれを研究者がやることは、研究者であるが故に厳密な点を知っているからより一層「問題の簡略化」は難しいのでしょう。それを研究者以外がやると…結局は今の事態と同じように、環境問題であればただ「CO2⇒温暖化」という図式になってしまうのではないでしょうか。分かり易さ、という点では評価できると思います。小学生でもみんなが「環境問題」と知っているのですから。もっと知りたいと思ったときには自分で自然に調べるものですし。ただそこで問題に興味を持ったとき、表面的な情報ではなく問題を知るためにはきちんとした勉強が必要なのだということに気づかなくてはいけないと思います。問題は簡単じゃないんだよーと言うことも合わせて認識される必要はあるでしょう。
また、学会としても政策提言をもっと行っていくべきだという点について、研究者側としては政策作りの知識も学ぶことになるでしょうし労力を割くことになるので、時間や手間がかかり非常に実行しにくいことだと思います。(経験者の方は「勉強すればなんとかなりますから、恐れずにもっと若い研究者も政治の世界に入っていくべきです。知識はホントに後からで大丈夫ですから」と言っていましたが。)
そこで、学生という一市民としてこのシンポジウムを通じて得たことには何があるか、得たものとして出来るか、と考えますと、学会側と行政側に壁があり、さらにより厚い?別の壁が市民との間にあることが分かった。⇒なら市民が研究学会とつながりを深めるために必要なことは何か。市民と学会のつながりというのは政策として行政を通じて実現されるものだと思う(研究ボランティアや学会の研究成果の発表による研究内容の提示などを除いて)。学会と行政の間に、学会からの政策提言が進まず行政も調査不足で研究成果を活かせていないという壁があるというのならば、市民側が政治に環境面でのニーズを提示して主張していことで、行政が研究を活かすことを促進できるのではないか、ということです。⇒だから、もっとヤングリ頑張ろう、と。結局はそこになります。もっと勉強しようと。あともっと環境やってるみんな政治についても勉強しよーと。そんなこんなな感慨にふけったシンポジウムでした。勉強しよー :-)

執筆者:とめ