「同行一人」(Part.2)

金曜日に復帰しました、ラガーです。今月の14日に書きました「同行一人」の続きを書きます。

昨年の6月、私は南浅川にある圏央道収容予定地を歩いていました。恐らく反対運動を展開する方々が紐につるしたであろう「怨」という字を刻印した紙が、川から吹き降ろしてくる冷たい風に寂しく揺れていました。私は予定地周辺をぽつねんと歩いていたのですが、そうした時一人の年配の男性が私に声を掛けてきました。
「すいませんが、この辺に○○○は無いですか?」(○○○は結局失念してしまいましたが、お寺さん関係でした)
「私、土地のものじゃないんで存じ上げないですねぇ」と答えた私だったが、このおじいさんが気になって仕方がない。そこで、つらつら会話を重ねていたのですが、どうやらそのお寺さんで般若心経を読誦したいのだというのです。益々このおじいさんに興味を持った私は、自然と「付いて行っても良いですか?」と尋ねていた。
「知らない人には付いていっちゃ駄目よ」と普通の子供と同じように教えられて来た私であるが、もう分別もあるいい大人だし、ということでヒョイヒョイとおじいさんの後を付いて行ったのです。

おじいさんは60年安保の頃に学生運動をしていたそうで、機動隊に警棒で足をしたたか殴られた話や、日の出闘争でパクられた話など、実に楽しい話を聞かせてくれたのです。収用予定地で出会ったのが午後一番の時間帯。それからお寺さんを探して歩き続けて3時間から4時間、その後橋本駅(?)で別れるまでの3、4時間、計7時間余りの時間を問わず語らず歩いて行ったのです。

おじいさんとの邂逅の中で、最も印象に残ったのが、仏教の話でした。般若心経のことやオウム事件のことなど「生きるということ」の実際について、伺ったのです。特に印象深かったのは、オウム事件のこと。おじいさんの知り合いでもオウム真理教に入会した方がいたそうで、オウム真理教について色々考える機会があったそうです。おじいさんは話の中で、
「オウムが一番間違ってたのは、汚れた人は自分たちがポア(殺害)して良いという考えを持ったこと」、
「一緒に笑ってやることも大悲のうち」、
「”いい加減”の中に真理があるんじゃないか」と、何気ない様子で語っていたのです。

目的のお寺さんで般若心経を朗々と読誦し終えたおじいさんは、橋本駅までの道すがら、「今日は四国お遍路をやり直すための足慣らしで来たんだが、良いトレーニングになったよ」と穏やかに目尻を下げていました。

「縁があったらまた会おう」。別れ際に握手をして別れたおじいさんの矍鑠とした後姿が、懐かしく回想されます。

私は、今回のブログのタイトルに、「同行一人」と書きました。本来ならば当然「弘法大師と私」ということで「同行二人」とするのでしょうが、私は今、それが出来ません。こんなことを言えば、おじいさんに苦笑されるのがオチでしょうが、なんともかんとも仕様がないのです。
話があちこち飛びますが、今日、八王子市役所交通政策室の方にお会いして来ました。もちろん高尾プロジェクトの映画製作についてご協力を頂けるようにお願いしてきたのです。目的は、現八王子市長黒須隆一さんに取材をお願いしたいとのことなのですが、非常に好意的に受け取って頂いて、「圏央道推進派・反対派」双方の想いを同じだけ取り入れたいという私たちの考え方に、理解を示して下さった模様です。今後市長に話を上げ、後はご返答を待つのみ、といった所でしょうか。

それはさておき、何故この話をしたのかと言いますと、市役所からの帰り道の途中真宗大谷派の寺院があり、桜の花もこじんまりと、品良くまとまっていたので「ちょっと休憩」と思い、立ち寄ったのです。私は最近桜の花が好きで無く、何とはなしに視界から避けるようにしているのですが、それと言うのもあの「咲き誇る」という感じがどうしても好感が持てないのですね。花弁を一杯に開いて所狭しと自己主張しているようで、「実ニ片腹痛シ」と常々思っているのです。高尾山の植物学者の吉山先生が「私は花弁の無い花が好きで、花弁に騙されたくないんですよね」と仰っていて、「先生らしいなぁ」と思ったことを思い出しますが、私も最近、あの百花繚乱というような風景が非常に厭わしく思っています。

とまあそんな話は置いといて、寺院からの帰り道の話。境内を潜るときは気が付かなかったのですが、ふと門前の横にある張り紙に目が止まりました。それは寺院の門前によくある、「謦咳」とでもいうものでしょうか。そこには、「仏様にすがらずに一人で生きようとする慢心した者すらも救うのが大悲」といった趣旨のことが書かれていました。
「大悲」、すなわち仏様の「悲しみの中に暮れている人と共に悲しむ」という精神ですね。またまた話が飛びますが、先日ある自民党代議士を招いた環境問題の勉強会に参加したのですが、その中で某代議士が「人の喜びをわが喜びとする」ことが私の政治理念、と仰っていたのです。
私は率直に言って違和感を感じました。政治とは喜びの総量を増やすことではなく悲しみの総量を減らすことであると考える私にとって、某代議士にあまりに軽薄な感じを抱いてしまったのは肯なるかなというところでしょう。大平正芳元首相は「政治とは鎮魂である」と遺しましたが、哲学を持つクリスチャン宰相の面目躍如ではないでしょうか。
門前に掲げられていた「大悲」の言葉には深く考えさせられますが、私はそれでもやはり、「自分の言葉を鍛えてみたい」という衝動に突き動かされます。言葉を超えたところに何らかの「境地」を探すのではなく、真理の追求を妨害する稚拙で脂下がった言動を論難し、と同時に絶えざる自己省察を繰り返す。つまりは、「自分の言葉を鍛える」ということ。但し、言葉を鍛えるということが、だた「論理的」に語るというだけのことを意味しはせず、頭からのみ現れた言語ではなく、肉体から奔出した、熱き血の躍動する言語であること。硬質な、同時に触れると火傷するような、そんな言葉。

それを鍛えるために、まずは「同行一人」で歩いてみたいと思うのです。

(次週に続く)