映画音楽について

さて、映画音楽についてです。
私はかつて大学で劇団に所属し、そこで音響というセクションを担当していたのですが、それにははっきりと理由があります。それは映画のサウンドトラックが大好きだったから。そして、サウンドトラックに心を奪われるきっかけというのも実ははっきりしていて、それは高校生の頃にdavid lynch監督の映画『blue velvet』を観たからなのです。

Blue Velvet

Blue Velvet

この映画やサウンドトラックの魅力をどう説明したらよいか。おぞましい映像をバックに場違いな幸福感溢れる音楽がかぶさる違和感、明るい田園風景に耳障りなノイズが鳴り響く嫌悪感、美しいものが唐突に醜いものに姿を変え、神々しいものが間を置かずに邪悪なものに姿を変える、つまりそういった感じです。ただ、そう書いてもその衝撃度合いはちっとも伝わらないだろうと私は思う。高校生の頃の私には映画の世界がほとんど理解できなかったけれど(というかそれは今でも同じなのだけれど)、「凄いものを観た」という強烈な印象を受けたんだ。
それから映画を色々観て、多少の音響理論を学んだ今にしてこの音響の意図するところを考えてみると、プロットの飛躍を補足する・二項対立を明確にするetcとかなり高度な計算がなされていることが感じられる。場当たり的に散りばめられた「場違いな音」は実は極めて論理的な流れに沿って、配置されていたんだね。angelo badalamentiの流麗なメロディといい、本当に巧みな音響だと思う。
舞台音響をやっていた頃はこの映画のような音響をやりたいと私は思っていたし、実は今でもそう思っている。もちろん、あれほど高度なことは私には全くできないし、高尾山を舞台にした映画では演出ミスもいいところの戦略だろうと思う。実際、この映画ではその方向は目指さない。ただ、映画音楽を考える際にはリンチ作品の音響をはっきりと意識するんだ。つまり、音楽の流れが演出の流れと一致しているか、と。
話は逸れるけれど、リンチ作品、例えば他にも『マルホランド・ドライブ』や『インランド・エンパイア』などを「こけおどし」とか「意味不明」とけなす人が散見されるように私は思う。言いたいことは分からなくもない。ただ、そういう人は映画を「お話」のサイドからしか楽しめない人なのだと私は思う。映画って「分かる・分からない」だけじゃないよね。映画は娯楽作品には違いないけれど、総合芸術の一形態であるんだからさ、そんな安い見方をしないでよねと私は思う。
話を戻す。映画音楽、というか映画の音響というものに対しては割と多くの人がそれに意識を払わないで映画を観ていると思う。ただ、注意されたいのが音響というのは良くも悪くも観客の感情に無意識レベルで作用するものなんだ。世間で話題の「泣ける感動映画」では拙いプロット・演技をごまかすために強引な演出がなされることが往々にしてありますが、そこには音楽が大きな役割を果たしているのです。
音響にだまされたくないあなたは一度、リンチの映画を観て、そしてそこから優れた音響について自分なりの考えを持たれることをオススメします。音響の立場から映画を観ると作品が全く別の姿を現してくるというのはよくある話なので。