事実に立って

こんばんは。らがあと申します。以後お見知りおき下さいませ。
さてさて、私たちの世代(20代)の流行の合言葉は「持続可能性」、というものです。私たちの世代の内で、ひた向きな者や真面目な者たちは、この言葉に取り憑かれて日々を過ごしていると言っても過言ではありません。時代の空気と言うのでしょうか、雰囲気とでも言うのでしょうか、そういった目に見えない「気分」が人をつくり、時代をつくっていくという事は、歴史書を二三枚繙けば誰の目にも明らかです。そして時代にはその時代を象徴する言葉というものが生まれます。それが私たちの時代の場合、「持続可能性」なのです。
さて、では「持続可能性」とは一体どんな文脈から出てきたのでしょうか? 20世紀も後半になると、人類は地球環境問題の深刻化といった事態に直面しました。それに対する答えとして、私たちは「持続可能な社会を作ろう!」という決意を言挙げしたのです。イマドキ小学生でも知ってる当たり前のことです。しかし、その当たり前の言葉の意味について、人々の理解が一致しているかと言えば一致してはいないのです。それもそのはず、言葉に対して元来人々のイメージを一致させることなど出来ない相談ですから。
ただ、私が言いたいのはそういう事ではなくてもっと原初的なことについてです。すなわち、「持続可能性」という言葉の生まれた時点についてです。この言葉が生まれたとき、私たちはどんな風景を目の当たりにしていたのでしょうか? 言葉が闇の中に生まれるはずは無く、そこにはきっと何らかの風景があったはずです。その風景はどんなかたちをし、どんな色をし、どんな肌触りだったのでしょうか?味は?匂いは?
私たちは、日々言葉を扱っています。頭で物を考えているだけの時もその道具は言葉によってです。それ程言葉というものは大切ですし、あまりにも大きな存在です。人間それ自身といっても、ある意味過言ではないはずです。ただ、私が思いますのは、言葉というのは独り歩きを始めるものだと言うことです。「綸言汗の如し」等と言われますような、人に向かって放たれた言葉もさることながら私自身の思考の中で生き生きと蠢いている言葉についても同様です。一人歩きをしているのです。 
私が恐れるのは、この「私」を離れて一人動き続けている言葉についてです。「持続可能性」という言葉が私の耳に始めて届いた日のことを、私はもう思い出すことが出来ません。それが20年も前のことだったか、それとも実際は去年の事だったのか、今となっては思い出す術もないのです。
ところで、「持続可能性」。この言葉は随分こなれない訳語ですね。直訳とでも言うのでしょうか、未だそこに込められた意味内容が不明確な折に、やっつけで充てられたといった感がプンプンします。まるで日本国憲法のような。私にとっていつになっても日本国憲法の中にある言葉たちに馴染めないのと同様に、「持続可能性」という言葉に対して、何時までも馴染めないものがあります。例えるなら、余所余所しい継母というのはこんな感じでしょうか?
私は私を本当に生んでくれた、実の母なる言葉に出会いたいと思いました。「持続可能性」等というおためごかしではなくて、本当の言葉、本当の母に会いたいと。きっと、ここに本当の母はいるはずだ、そう思ってたどり着いたのがこの「高尾山」だったのですが、さて、母には会えるのでしょうか。