岡崎京子について

岡崎京子―総特集 (KAWADE夢ムック)

岡崎京子―総特集 (KAWADE夢ムック)

岡崎京子という漫画家をヤングリメンバーでどれだけの人が知っているのだろうか。エキセントリックだけれど徹底的に醒めている。底無しに深い・暗い世界を描きながら、表面は実にユーモラス。そんなスタイルの作品を多く残した、本当に素晴らしい作家だったのだけれど、その実力に見合うだけのパブリシティを得ていないように思われるのは非常に残念なことだ。彼女の作品を未読の方は是非ご一読を。
素晴らしい作家「だった」と書いたけれど、実は現在の彼女は創作の現場から離れている。詳しくはwikipediaなどの岡崎京子項目を参照されたいけれど、簡単に言ってしまうと、交通事故に遭って、漫画制作が難しい状況になってしまったということだ。もちろん私は後追い世代で、同時代的に彼女をフォローしていた人に比べるとその感情は弱いのだろうけれど、それでもやっぱり思ってしまう。こういうのってやりきれない。
実は本日はアルバイトがあって、そこで会社の先輩から「岡崎京子の今」についてのお話を聞く機会があった。内容は省くけれど、ちょっと衝撃的というか、今さらながらグサっとくる内容だった。信じたくはないけれど、その先輩は岡崎さんと近しい立場に編集者として当時はいたそうなので、恐らくは本当のことなのだろう。繰り返しになってしまうけれど、本当にやりきれない話である。
私が岡崎京子の作品と出会ったのは私がまだ高校生、いや中学生の頃のことで、近所の古本屋で見つけた『東京ガールズブラボー』を何の気なしに手に取ったのがきっかけだった。
[rakuten:book:11135058:detail]
当時の私には予備知識が絶望的に欠けていて、作品の世界を一割も理解できなかった覚えがある。ただ、あの「世界は広いけれど、何もない」という感覚に強烈に惹かれ、その後こつこつと作品を買い集めてきたのだ。好きな漫画家は数多くいるけれど、あそこまでのめり込んだ作家というのは彼女以外にいないし、多分この先も現われないだろうと思う。
当時の私にとって岡崎京子という作家は新しい世界への入り口であった。私の生涯フェイバリット作品・フリッパーズ・ギターの『カメラトーク』、デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』、それらは彼女の作品を通して知ったし、そういえば浅田彰の『構造と力』を買ったのも上の『ガールズブラボー』*1がきっかけだった。今の私を素因数分解してみると、その多くの要素が岡崎京子をルーツとしているのだろうと思う。私にとっては本当に偉大な作家だ。で、そんなことを考えている内に、私の思考は自然と今行っているドキュメンタリー映画に向くようになってきた。
この日記で何度も書いているように私達は現在、高尾山を舞台としたドキュメンタリー映画の制作を行っている。所詮は学生レベルの作品で、その質の高さを岡崎京子のレベルと比較するなどおこがましいことなのかもしれない。ただ、私が思うのは質はともかく、かつて私が彼女の作品を通して新しい世界を感じられたように、この『高尾ドキュメンタリー』を通して、観客が何がしか次のステージに進んでいけるようなものを作りたいというとこだ。
映画を通して高尾山そのものに関心を持ってもらえればもちろん嬉しいし、環境問題への意識の高まりでも願うところである。もしくはごく単純に映画とかドキュメンタリーへの興味でもそれはそれで作り手としては喜ばしい。『東京ガールズブラボー』がなければ今の私はなかった。それと同じように「『高尾ドキュメンタリー』を観ていなかったら…」というようなものを私は作りたいのである。
我ながらアホらしく、青臭い、田舎者的発想だとは思う。ただ、そんな理想がなければモノ作りなんぞはする価値があるまいと私は思う。「岡崎京子の今」を知った今日をきっかけに覚えたこの感情をきちんと記憶しながら、また編集作業に向かっていきたい。
以上。今日はこんなところで。これから『カメラトーク』を聴いて寝ることにします。
カメラ・トーク

カメラ・トーク

担当:ナイトウ

*1:あとがきで岡崎京子浅田彰が電話対談をしているのだ