涙の訳は?ゆず入り味噌汁か、花粉症か!

今週もあなたのおめめをお邪魔する、らがあです。
昨日は高尾プロジェクトの謹厳なるブログ管理人・モアルー氏と裏高尾へインタビュー取材に行ってきました。お相手はこの物語の一方の主人公、M・Aさんです。最近はすっかりAさんに懐いてしまった私、玄関口でチャイムを押すところからビデオカメラは回り始めております。「はいはーい」と元気な声で返事が聞こえると、そそくさと出迎えて下さるのだが、いきなりカメラを構えた姿で「こんにちはー!」とやるとやはり些か驚かれるご様子で、「何ですか、何ですか〜!(笑)」と、Aさんは戸惑いを見せられるのだ。今でも朝晩は冷え込む裏高尾だが、すっかり春めいてきた季節のリズムに合わせるように、昼間になると暖かな日差しが柔らかくAさんのお庭を照らしていた。風が強いためか、空には白い雲が気忙しく流れていた。

Aさんと初めてお会いするモアルー氏をよそ目に、僕は取材内容についてAさんにご説明する。昨日は、Aさんの裏山の思い出を、お庭で伺った。昔とはすっかりその面影を変えてしまったAさんのお宅の裏山は、人呼んで「寿の森」。Aさんが今は亡き旦那様、Yさんとの結婚を記念して杉の苗を50本、植えたところだ。Aさんの裏山に行くには、線路を渡っていくより他に方法は無い。中央線が通っているのだ。昔は単線だったが、今は複線化されている。その線路を越えたところに、寿の森はある。お年を召されているAさんは、ここ一年余り、山には入っていないという。近くに住む息子さんからも、「山に入ったら危ないよ」と止められているそうだ。誰も手入れをしなくなった寿の森は、ただ荒れるに任されている。人工林は、人の手が入らなくなると、荒れ始める。痩せた杉の木立が、今Aさんの自宅の裏に僅かに残されている。

寿の森を越えると、中央自動車道が走っている。一年中、休むこと無く車が走り続ける。日本の物流や人の移動を担う生命線である。今日も血液の如く、片時も止まること無く、車が往来する。乗っている人に会ったことは無い。そして中央道の上にさらに高く聳え立つのが、首都圏中央連絡自動車道、通称圏央道である。それは青く澄みわたる空に、デンとして構える巨大な龍のようである。太陽の光に照らし出されたそれは、時を止められたが如く、優雅に鷹揚に静まり返っている。龍の背はアスファルトと呼ばれる鱗で出来ている。その上を、中央道と同じく、一日も休まず、車が走りすぎて行く。ズシンズシンと大きな音が聞こえてくる。

庭先で圏央道を背景にお話を伺っていると、Aさんは、「見るのも嫌だ」と巨大龍から目を背ける。僕の目に、悲しげに顔をゆがめるAさんと、巨大龍と、そして寿の森の痩せた杉の木が、直線上に見えた。24年間に渡る、歴史の堆積が、そこにはあった。ただ、あった。
僕たちはインタビューを終えて、再びご自宅にお邪魔した。Aさんは控えめな様子で、しかし少しイタズラでもしようかという風にして僕たちに声をかけた。「ちょっと、今おいなりさんを作ってあるんだけど食べて行かない?」。モアルー氏と僕は期せずして声が揃った。「いただきます!」。バカ丸出しである。だが、Aさんは待ってましたとばかりに、台所の奥へと小走りに向かっていった。

Aさんはとっても料理が上手だ。1月の末に慎ドンと二人でお伺いした折には、甘酒をご馳走になった。元旦の夜店で売っている甘酒は、この世でベストファイブに入る味だと思っていたが、Aさんが作る甘酒はそれを超えていた。元旦というシチュエンーションすらも凌駕する、恐るべき甘酒女将・Aさん。と思っていたら、昨日頂いたおいなりさんとお味噌汁は、Aさんがお稲荷女将、お味噌汁女将の称号すらも総なめにするであろうと思われる、マッコト美味なるものであった。お稲荷さんのご飯にはふりかけが混ぜられ、お味噌汁には刻んだゆずが入れられていた。裏の庭で取れたものだという。「心入れ」という言葉が頭に浮かんだ。主張しない、わざとらしくない、さりげない気配りがジンと胸を打った。話は変わるが、一昨日伺った裏高尾の元締めさんは、Aさんの旦那様であるYさんを思い出して、「ブらない人だった」と語ってくれた。「先生ぶる」とか、「偉ぶる」とか、そういう心持ちが微塵も無い人だったという。すべてが自然体だったと、教えてくれた。

今は亡きYさんと、今も裏高尾に暮らす妻Aさん。春まだ浅き昼下がりの、一情景である。