夏去って

「夏の終り」 伊藤静雄

夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落とす静かな翳りは
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷く眼差しのやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずっとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる

日本浪漫派、伊藤静雄の上の詩は、眼前一杯に広がる日本の里山の風景を私には想起させる。静雄が「さよなら」と呼びかけたものは、ゆく一片の「白い雲」、それから、「颱風」の季節を迎え、「気のとほくなるほど澄みに澄んだかぐはしい大気」に包まれた日本の「夏」であった。
白い雲は会釈をしながら流れてゆく。「水田」の上を。「行人」の上を。「屋根屋根」の上を。「樹上」の上を。「行人」、すなわち人もまた、この風景に在っては、点景のひとつでしかない。その時、それを眺めている詠み人はいったい何者なのだろうか?
風の音が変わってきた。夏の終りを告げた「かぐはしい大気」は、きっと目に見える秋の訪れを、高尾の人に知らせていることだろう。高尾山へ秋を探しに行こう。