冬高尾はデエトスポッツ!

金曜日の使徒、らがあです。ATフィールド作動です。最近ビデオカメラとのシンクロ率が日に日に向上していることに内心ムフフな、らがあです。
さてさて、本日久しぶりに高尾山の撮影に出掛けてきました!朝は雲ひとつない青空が広がっていてとっても気持ち良く家を出たのですが、高尾に着いたあたりから段々と雲が厚みを増してこちらへ迫ってくるのでありました。その雲の厚さと言ったら、思わず「竜の巣だア!」と叫びたくなる有様。稲荷山コースの6合目辺りからはポツポツと肌に当たる雨の雫を感じ出し…。しかし、どうやら崩れること無く持ち堪えてくれたのでホッと一息付いたのでした。
それにしても、ここ2,3週間ご無沙汰している間に山はすっかり冬準備。落葉もほとんど最終盤、散った枯葉の上を足を摺りながら歩いていくと、懐かしい少年時分を思い出しました。小学校からの帰り道、僕は鍵っ子だったので(マンションではありませんが)道草ぶらぶら、知らん顔で好きな女の子の後を遠巻きに付けていたのをフト振り返るのでした。途中、ずいぶんと少なくなった登山者の中に年配の男性がいたのですが、木の棒をもちながらそれを「ズーッ」と落ち葉を引っ張り出すようにして歩いていたのには思わず破顔一笑、あの方も童心に帰っていたようです。

さて、注目すべきはタイトル通り、冬の高尾山がデエトスポッツになっているということ!今日は平日、しかも紅葉の季節も終わりを告げたこともあり登山客は一月前に比べたら「閑散」と言っても良い程の違いです。にも関わらず、アベック率の高いこと!「冬山は寒い」→「寒いと人は近づき合う」→「二人の距離は急接近」という三段論法(?)が援用されていること疑いを入れません。何たる策士、何たる恋愛ハンターたち。今年「も」一人で枕元に靴下をぶら下げて、サンタさんからのクリスマスプレゼントを待とうかという僕は、彼らの老獪さにただただ舌を巻くのでした。 

ではでは本題です。
先日国土交通省にお邪魔した話は書いたと思いますがその際にご紹介を頂いた「相武国道事務所」のさる方(ナベツネ氏ではありませんので注意です)に連絡を入れたところ、「はい、伺っております。全面的に協力させていただきます」との全く思いもかけない言葉を頂きました。本省からの電話連絡の効果か、結成2年弱の青年環境団体の一介の素浪人の話に、「全面的に協力」とはいやはや恐れ入りました。
今後はヤングリがどういった趣旨で映画製作を進めているのかを説明し(どうやらそれもある程度ご理解頂いてるようですが)、では圏央道推進派の方々の内、どのような方にお出まし頂きたいのか、それを「打ち合わせ」するという段取りになりました。「打ち合わせ」というのが不思議ですね。さる方によりますと、必要であれば「八王子市長」や「八王子商工会議所会頭」さんにも顔繋ぎをするとのこと。ウーン、面妖ナリ。

ともあれ、私たちとしては願ったり叶ったりのシチュエーション。元々「開発側VS住民側」といった対立をクローズアップした視点や、「住民万歳&自然保護万歳!」的なノリを露かけら程も望んでいなかったので、これはとっても有難い話でした。

童子問 (岩波文庫 青 9-1)

童子問 (岩波文庫 青 9-1)

最近読み始めた伊藤仁斎の言葉に曰く、
「皆対有らずといふこと無し。是れを対峙とす。然れども対峙は自ずから流行の中に在り。流行の外又対峙有るに非ず。」
(ものごとにはみな対のないものはない。このような関係を対立とするのだ。しかし、対立は自然に展開の中に存在するのであって、展開を離れて対立があるのではない。)

これは『伊藤仁斎集』の中の「語孟字義」にある言葉なのですが、なるほど確かにそうだと肯かされました。初めに対立があるのではなく、世の「展開する」、すなわち時の流れる中に在って対立が生まれるのだというのです。ヘーゲル哲学も毛沢東の『矛盾論』も生噛りの私ですから、これ以上このテーマを語ることなどシドロモドロになるが落ちですから止めますが、以下の八王子市長の言葉を読んだ時、「こういう風に圏央道に向き合ってる人もいるんだなぁ」と、何だか不思議な感情に満たされました。

思い起こせば、私が圏央道に初めて関わったのは、26年前の昭和56年9月の市議会定例会でのこと。まだ、市議会議員に就任して2期目、39歳の時でした。
 「首都圏中央連絡道路の建設促進に関する決議」を議員提出議案として提案したのですが、当時はまだはっきりしたルート案すらなく、様々な質問を想定して勉強し、審議に臨みました。
 厳しい質疑は2時間半にも及びましたが、国道16号線の混雑緩和、都市間交通の活性化など、圏央道の必要性をひたすら訴え続けた結果、賛成多数にて採択。当日は興奮してよく眠れなかったことを憶えております。以来、現在に至るまで圏央道に対する思いは並々ならないものがあります。
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/online/mailmagazine/shicho/011386.html

対立点を無闇に煽り愚かしく盲動するのではなく、又一方的な視点からの蒙昧なる言説に踊ること無く、ジッと対立点を見詰める忍耐。その「耐える」という作業を通して私たちのドキュメンタリーは生まれていく、そのことを心深くに刻むのでした。
担当:ラガー