映画、高尾、時は流れて

save_mt-takao2007-12-21

みなさんこんばんは。今週も金曜日を迎えました。担当者のらがあです。

一昨日の話ですが、早稲田大学の大隈小講堂で映画監督、森達也さんの講演会が開かれたので、地権者のM・Aさんのインタビューを終えた足で、高尾から駆け付け行って参りました。
森監督が制作された同名の映画と著作から引用して、「ドキュメンタリーは嘘をつく」とタイトルされた講演会でしたが、中々聴き応えのあるものでした。森監督といえば、オウム真理教を内部から深く取材された作品である「A」、「A2」が有名ですが、当日は始めに「放送禁止歌」という、監督が99年に制作された映画が放映されました。「在日」や「被差別部落」などに関連する用語が入っている歌は放送に適さないという基準があり、過去幾つもの歌がこの基準に引っかかり、自主規制されているという内容のドキュメンタリー映画です。しかし、その基準自体に強制性は無く、それでは一体誰が「放送禁止歌」を生み出しているのかという問いが続き、最後に森監督がロッカーの扉の横に付いている小さな鏡にキャメラを向け、レンズを鏡に近づけ、「お前だ!」と発するのです。すなわち、私たち一人ひとりの中に、「自主規制」の芽が育まれており、臭いものには蓋をしてお茶を濁そうとする、傍観者的精神、事なかれ主義が根ざしており、それこそが「放送禁止歌」を成立させている根本だと言うのです。
以前このブログにおきまして、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を主導した人物であるアドルフ・アイヒマンのことを引用しましたが、その話に通じる「思考停止の怖さ」というものを、改めて認識した次第です。

森監督はまた、
「映像の中にある”嘘”を見抜こうとしても無理だ。そうではなく、世界は多面的であると知ってメディアに接するべきなのだ」
「自分の見たもの、感じたものだけは裏切らないようにしなければならない」
と仰っていました。前者は、日に日に愚劣化の一途をたどる現代マス・メディアについて話をされている時に出た言葉で、後者は映像制作者にとっての「ヤラセ問題」について話をされている時に出た言葉です。どちらも基本中の基本だろうとは思いますが、後者についてもう少し説明を加えます。

85年にテレビ朝日アフタヌーンショー」において放送された、暴走族による集団リンチの模様が実はヤラセだったことと、92年に「NHKスペシャル」で放送された「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」において流砂が迫りくる模様が実は自作自演のヤラセだったこと。これら二つの「ヤラセ」と、今年初めに大問題になりましたフジテレビ「あるある大事典」において納豆菌のダイエット効果のデータが捏造されていたというヤラセ騒動とを比較し、テレ朝とNHKの場合は「ヤラセ」と言うよりも「演出」、フジの場合は完全に「ヤラセ」であるという言い方をされていたのです。

その判断の基準は、先に挙げた「自分の見たもの、感じたものだけは裏切らないようにしなければならない」であり、暴走族によるリンチや砂漠の流砂は、撮影時は無かったとしても、現実には現場で起こっていることであり、その事を分かりやすく視聴者に伝えるために行ったことだが、納豆菌のデータ捏造は「自分」も「視聴者」も完全に裏切っていると解説されていました。

私たちJapanYoungGreens「高尾プロジェクトチーム」も、今回の企画がきっかけで初めてビデオカメラを手にするようになった、堂々たるペイペイ集団ですが、それでも「演出」の重要さは身に沁みて実感出来る話です。と言いますのも、良い映像というのが何時でもどこでも撮れる訳ではなくて、それこそ同一地点での風景撮影でもタイミングによって千差万別の表情を見せるものです。「こんな画がほしいんだけどなぁ」と思っていても、思い通りの画が撮れることの方が稀なのです。森監督はそういったことも含めて、映像というのはどこをフレームアップ(写す)するかやどんな編集にするか等、制作者の意図を離れては存在し得ないということを表現して、「ドキュメンタリーは嘘をつく」と述べているのです。

私たちの作品でも、「なるべく公平、中立的な立ち位置から」ということを心掛けているつもりですが、以上のことから考えて、純粋に「中立」的な作品など元々望むべくも無い、と云うことが分かります。となると、大切なことは「中立」かどうか、と言うことではなく、森監督の言葉を借りれば「世界は多面的であるのだ」、という思考を手助けするような作品を作ること、と言うことになるのではないでしょうか。

「多面的な世界」、「多様性に富んだ社会」。私は監督への質問時間の際、伺ってみたいことがあったのですが、止めました。何故なら私自身、全く曖昧模糊とした感覚の中で、未だ答えが出ていない問いだからです。すなわち、

「多様性の果てには、何らかの統一するもの、中心が無ければ、多様性も虚無に堕さざるを得ないのではないか」

ということです。「多面的」なことも「多様」なこともそれはそれで良いことだと思います。しかし、人間がそれだけで満足するとは思えません。やはり何らかの「答え」が欲しい。「これ」、と確かに明示出来る何らかの答えを求めるはずです。その「これ」、の中身を知るまでにどれだけの時間が掛かるのか、それは分かりません。天か、神か、或いは仏か。いずれにしても自分より遥かに巨大な、見えざる力のようなもの、それを指して「これ」と言い得ないような不思議、そういった未だ知らざる「これ」を、多様性の中から人は求め続けるものだ、そう思います。


さて、終わりに高尾の話です。先ほど少し触れましたように、一昨日地権者のM・Aさんにインタビューをするために高尾へ行って参りました。1時間半を超す長時間のインタビューにも関わらず、最後まで丁寧にお答えして頂けたことに深い感謝の念で一杯です。
ご高齢であり、また反対し続けた圏央道からの車の騒音・振動が家中の窓ガラスを震わせる中にあっても、笑顔を絶やさない、気丈なお姿が目に焼き付いています。
ところで先日、小学校時代以来の私のライフワークである「新聞記事の切抜き」をしていたところ、毎日新聞朝刊の8月3日記事に、高尾の「湯ノ花トンネル事件」のことが取り上げられておりました(写真参照)。

「湯の花トンネル事件」とは、敗戦間近の昭和20年8月5日午後0時20分頃、高尾山の麓にある「湯ノ花トンネル」に乗客を満員に乗せた「新宿発長野行き」の中央線下り列車がさしかかった時、アメリカ軍の艦載機P51が機銃掃射をし、乗客約180人が死傷したという事件です(内少なくとも52人が死亡)。この事件は、アメリカ軍による列車銃撃史上日本最大の犠牲者数に上るものだということです。現地では今も、事件があった8月5日に慰霊祭が行われています。

この話をM・Aさんにお伺いしたところ、当時のことをハッキリ覚えていらっしゃいました。Aさんは当時16歳で、その日はご病弱の父君に付き添うために、ご自宅におられたそうです。すると、「まるで自分の家の屋根を銃撃されているようなバッバッバッバッー!という耳をつんざく轟音が聞こえ、恐ろしくて夢中で布団の中へ隠れた」そうなのです。そして、自分は父君の看病があったため現場には行けなかったが、母君が近所の方と現場へ駆けて行かれたそうです。
戦闘員などいるはずも無いだろう田舎の山あいを走る列車に対して、熾烈執拗な銃撃を繰り返すということに一体どんな意味があるのか考えずにはおれません。91年の湾岸戦争の際にも、アメリカ軍のアパッチヘリの照準の向こうに、まるでゲーム感覚で狙いを付けられた人間が、銃撃によってドロ人形のように薙ぎ倒されて行くのをテレビで見たことを思い出します。
圧倒的な力を持ち、人の痛みとは無縁な場所にいて、更に合法的に殺人を認められた人間は、どこまでも残酷になれるのだということを思い知らされます。そして、戦争に「非戦闘地域」など無いと云うことも。
考えてみれば、現在Mさんの土地の収用を進めようとしている東京都の長、石原慎太郎知事も子ども自分にアメリカ軍の艦載機に機銃掃射を受けた体験を『わが人生の時の時』(「戦争にいきそこなった子供たち」)に書いておられました。

作中、「あれは私にとって有無いわさずに歴然として在る、生命を賭けて凌ぎ合う敵と味方なる関わりを悟らされた初めての瞬間だった。そして自分が今抜き差しならぬ形で国家なるものに属しているのだということを、あの時知っていた」と氏は書いておられますが、この国家への理解の仕方は、同じアメリカ軍の機銃掃射を受けたAさんとは全く違っています。いや、もしかしたら「抜き差しならぬ形で国家なるものに属しているのだ」、という感覚は共有していたとしても、その後、その感覚をどう解釈し、どう国家と向き合おうとしたかによって180度異なるものとなったのかもしれません。問答無用でわが命を奪われようとした経験を同じくしていても、それをどう受け止めたか、微妙な針の振れ方によって、敗戦から(或いは機銃掃射を受けた時から)62年を経た今、対極に位置する存在として互いに向かい合っている。

時の流れというものは、人生で最も重量あるものです。
担当:ラガー