章子さんに、最初に届けたい

金曜日に戻って来ました、らがあです。みなさんこんばんは。

今日は九日振りのインタビュー撮影に行って来ました!どらみいにお付き合い頂いたのでとっても動き易かったです。やっぱり撮影は何人かで行くとGOODですねぇ。
今日お話を聞かせて頂いたのは高尾駅北口近くにお住いのY・Tさんと裏高尾にお住いのKさんご夫妻。どちらの方も圏央道反対運動が始まった当初から参加されていた方で、懐かしい話をたくさん教えて頂きました。その中でも、このブログをご愛読頂いてる方がいましたら既にご存知ですね、圏央道反対同盟の事務局長を長年務めてこられていた故M・Yさん(以下「Y先生」)。この方の想い出をお伺いした時のY・Tさん、Kさんご夫妻の表情のえも言われぬほころび方。そしてY先生の想い出を話すその熱っぽい語り口に、僕は打たれました。

「亡くなってからもこういう風に慕われる人って、本当に珍しいですよねぇ」と語るKさんの奥様の言葉に、僕は深く肯いたのです。
確かに、人間ってとってもいい加減なもので、どんなに仲違いをしたり、イヤな奴だなぁと思っていた相手でも、当の本人が遠くへ去ってしまったり、或いは亡くなったりすると、そんな嫌な記憶もどんどん忘れ去られて、結晶化して、キラキラした記憶に変化するものですね。そして、「会いたいなぁ」なんて言ってみたり。それは、例えば故郷を後にして都会へ出てきたような人には、すっと胸に落ちる話じゃないでしょうか。

では、Y先生の場合もそうなんでしょうか?僕は、きっと違うような気がするんです。Y先生は、在世当時からその人望を慕われ、親しまれていた方なんですね。Kさんの奥様が「みなさんにもぜひお会いして欲しかった方ですよ」と私たちに語りかけた時の表情は、今では手の届かないところへ行ってしまった宝物の面影を瞼に映し出しながら、いつまでもその宝物の手触りや輝きを愛惜してやまない情愛がにじみ出ていました。

   梅は匂いよ木立はいらぬ、人は心よ姿はいらぬ。

上の小唄は江戸時代のものですが、昔も今も、人の心を震わせるものは人の心以外に無いのだなぁと、しんみり自分の来し方行く末を振り返るのです。「あの時あんなこと言わなきゃなぁ」とか、逆に「あの時言っておけばなぁ」何てことは、人生往々にしてあることですよね。でも、そういう事ってお互い生きてる間じゃなきゃ、伝えられないんですよね。だから、今を大切に、今生きてる間を大切に、もしそんなわだかまりや後悔が残っているなら、今のうちに相手に対して自分の本当の「心」を伝えなきゃならないんだと思います。


一族再会 (講談社文芸文庫)

一族再会 (講談社文芸文庫)

昨日、敬愛する江藤淳先生の『一族再会』を読みました。江藤先生が自分の故郷や祖先などのルーツを辿る作品なのですが、その中で
「人は空間を漂泊し、故郷をいよいよ遠くはなれてさまよいながら、それでもなお必死に戻ろうとしているのだ。」
という一文がありました。映画を撮り始めて6ヶ月が経った今、僕にとって裏高尾は実の故郷仙台に次ぐ、第二の故郷になりかけています。裏高尾を歩いていると、じんわり胸があったかくなって、ホッとする瞬間があります。もしかして、それは故郷が人に与える感覚に近いものかもしれません。もちろん、その感覚には本当の裏高尾住民では無いという気安さがあるでしょうし、その気安さに目を瞑って陳腐なセンチメンタリズムに囚われたりはしませんが、それでも「僕は裏高尾町が好きです」ということは、衒い無く言えるんです。僕が「必死に戻ろうとしている」場所はどこなのか、それは今は分かりません。裏高尾町なのか、仙台なのか。それとも全く別の、どこか遠い原初の約束の地なのか。今は分かりませんが、それでも探し続けることで、探し続けることを止めないことで、きっといつか出逢えると信じて生きて行きたいと思います。


さてさて、どんな作品が出来上がるか、作品の完成期限が迫るに従って僕自身とってもワクワクして来ています。多くの方にご協力頂いて、ご好意に甘えて、制作を進めています。作品が完成しましたらご協力頂いたすべての方に直接手渡しに行きたいなぁと思ってますが、実はその中でも、一番最初に届けたいと思っている方がいます。作品が出来上がったらバッグにDVDを詰め込んで、京王線新宿発高尾山口行きに飛び乗って、高尾駅北口から小仏行きバスに滑り込んで、摺指バス停でブザーを押してバスを駆け下りたらB−DASH!一路走って走ってご自宅前の階段を駆け上って、ピンポン押したらきっと満面の笑顔で迎えて下さるから、息を枯らして一言。

「章子さんっ、出来ましたっ!」

作品完成は、来月23日を予定しています。