忘れられるものならば、もう古い夢など見ない

嗚呼金曜日、らがあです。昔「月月火水木金金」という軍歌がありましたが、海軍には休みなし、ということを如実に語った言葉ですね。もし僕が海軍に入っていたとしたらブログ担当が週2回ということになる訳ですが、それなら僕は陸軍がイイナ。あっ、でもやっぱり検査入隊即日除隊でお願いします。
最近、イージス艦あたごと漁船の事故がニュースになっていますね。あの事故に関して特に言いたいことはありませんが、一つだけ心に残ったことがありました。それは航海長の被害者家族に対する態度です。
私は新聞記事に目を通しただけですが、航海長が被害者宅を訪ねた際の態度は実に立派だったようですね。写真で見ただけですが、航海長の佇まいは「海軍五省」の第一にある「至誠に悖るなかりしか」を彷彿とさせるものでした。その後の記者とのやり取りでも、「漁船が群集する中で仮眠をしていた事は問題だとは思わないか」といった趣旨の質問に対して、「問題が無かったとは思っていない」と答えたとか。新聞記者氏の質問は言い掛かりとしか思えないが、敢えて反論することをせずに、自らの責任に言及する辺りはさすがは日本国の軍人であると唸らせられました。片山虎之助の昨夏の参議院選挙における敗北宣言も見事なものだったが、やはり、人には「ここぞ!」という判断を迫られる場面で、みっともなくも動揺して醜態をさらすか、或いは「天命」と観じて潔く泥をかぶれるかで人品が別れるものかもしれない。
いずれにしても、沈没した漁船の乗組員やその関係者には実に不幸な事故であったと思う。だが同時に、今回の事故は乗組員や関係者だけでなく、全日本国民にとっての不幸であったと思う。別に私は、どこかのテレビコメンテーターのように、悲しくも無いのにしたり顔で悲しい振りをした言い草がしたい訳ではなく、「国民の生命と財産を守る」ためにある日本国自衛隊が、それに反してまったく逆の結果を起こした、すなわち日本国民を不幸な目に合わせたということが、事実悲しいのである。ただそれにしても、非常に印象的な場面もあったと思う。それは、事故後あたごの航海長が被害者宅を訪れ、誠実な謝罪の姿勢を示した時に被害者家族が涙を流しながら、しかも頭を下げて家から送り出していた姿である。悲しい事実は永遠に忘れることが出来なくとも、その痛みを癒すことは出来るのかもしれない、そう思わせてくれた。願わくば、被害者家族と親族、並びにあたご全乗組員に心の傷の癒される日が一日も早く訪れんことを。


さて、高尾です。最近の私の課題は「思い出すこと」。夢を、志を、高尾プロジェクトを始めた時の衝動を、その他フラれた恋の数々を。ってオチはいらないの!
つい先日、当高尾プロジェクトのブログ責任者M氏に強烈な一発をお見舞いされ、不覚にも昏倒寸前までドランカー、裕次郎映画鑑賞後の青年よろしく「チェッ、ちょいとキツいじゃねえかよ、なぁ社長」かなんか言って、したたか酩酊した訳です。しかし、目が覚めました。

  四十余年睡夢中   四十余年睡夢の中
  而今醒眼始朦朧   いま醒眼始めて朦朧
  不知日已過亭午   知らず日已に亭午を過ぐるを
  起向高楼撞暁鐘   起って高楼に向かって暁鐘を撞く  
                       −「暁鐘」王陽明− 

「高楼」を忘れた僕には、撞くべき鐘も見つからない。いつしか、高尾プロジェクトは僕が生きていることの免罪符になっていた。「これをやっている限り、僕は生きていて良いんだ」と。それは逆に言えば、「これが無くなったら生きていなくて良い」と反転する類の、デスパレートな感情。破滅的な陥穽。僕は大切なことを忘れてしまっていた。 

夢。そして、志。熱血至情をひた走る純忠なる漢たちを思い出した今、僕は再びNR。「NR」って何かって?「ノンセクトラジカル」じゃあない。「ノンレボリューション」では更にない。「NR」、イコール「ノンストップ・ラジカル」のことさ。(この語尾、洋画の下手な日本語吹き替えみたい…)

Singles

Singles

【作詞・作曲 中島みゆき】 

遠く遠く遠く遠く 夢はいつか遠のいて あきらめても あきらめても 差し出す腕が戻せない
眠り込んでしまうために あおる酒も空になり 酔いきれない胸を抱いて 疲れた靴を履きなおす
忘れられるものならば もう 旅になど出ない
忘れられるものならば もう 古い夢など見ない

今宵もみゆきで一献、傾けるとしよう。変わらぬ夜に、変わるならがー。(今日も私小説的な文体…。Eさんの揶揄必至だなぁ。。。)