高尾の森

オスカーです。金曜日に、ラガー氏・モアル氏とともに、高尾山に行ってきました。
高尾山天狗裁判原告団の団長で、植物学者の吉山さんに高尾の森林について説明を受けたのですが、これがとても興味深くて、農学部の森林関係の授業で詰め込んだ断片的な知識が、鮮やかに蘇ってきたのでした。
印象的だったのが、「天然林は社会と一緒」だという説明です。高尾は天然林が残っているということが売りなのですが、なぜそれが素晴らしいことなのか?それは、落葉樹・常緑樹、広葉樹・針葉樹を含めて多様な樹種が、幾世代に渡って存在しているからですね。もちろん、その中にはできの悪いのもいるし、数が少ないのもいるし、一方で、詩的なものを呼び起こすような美しい木もあるわけです。そして、その多様性が森林生態系の安定性、ひいては、次世代の森林の生存を保障します。
今のいわゆる「若い親」に聴かせてやりたい話ですねw こう考えると、小学校・中学校はまだしも、高校・大学というのは極めていびつな社会だなぁと思います。そりゃ、3年で仕事をやめる新入社員がいるのも理解できます。
高尾を歩いていて目に付くのが、樹齢100年を超えているであろう大木です。昔の大名が植えたという、立派なヒノキ・クインテットもありましたが、ブナとモミが中心です。吉山さんは特にブナに思い入れが深く、「地蔵ブナ」や「美人ブナ」など、ブナの大木には命名をしてらっしゃいました。
普通の登山者はまず気付かないのですが、頂上近くの道を左にそれたところに例の「美人ブナ」があります。人が少ないことに加え、傾斜が少なく被圧が弱いために、傷のない真っ直ぐに伸びたブナが育ったようです。よく見ると確かに美しいです。いつまで見ていても飽きないんだな、これが。レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を思い出しました。社会人になっても、1年に一回は「驚きの感覚」を取り戻したいですね。ゲーテも言っていました。
我々は常に変化、再生、若返りしなければならない、さもないと凝り固まってしまいます。
その通りですね。昔の哲学者や音楽家が「自然」というものに、強いこだわりを持っていた理由が少し分かった気がします。やっぱ、インドア・オンリーはダメだぁ。えて文学者、赤い評論家、林学崩れの3人はそう思ったのでしたw
さて、高尾山の森林が「北の森の特徴と南の森の特徴を併せ持っている」こと。これが高尾山の森林生態系を語る上で重要なポイントのようです。先の「美人ブナ」の近くには、アカガシがあります。アカガシは南のキングです。一方、ブナは北のキングです。つまり、南北巨頭会談の実現です。「雪融け」だぁ。
とまぁ、生物多様性の大切さを再認識させられた1日でした。いくらたくさん本を読んでも、「生物多様性」を深いところで理解することはまず不可能です。いくら想像力を働かせて、imagineしてみても、現代のこのスピードに身を置けば、絶対無理だと思います。だから、環境教育は大事だ、的な安直な結論を出すわけではないのですが、でもやっぱり環境教育は大事だ…、あぁ。
えー、そうじゃなくて、だから、そのような機会を提供する「場所」が都市の近くに存在すること、これが重要だなと結論付けることができます。一方で、圏央道の建設が高尾の生態系に影響を与えることを「法的因果関係」に照らして証明するのが不可能なことが頭にのしかかってきます。伝家の宝刀「予防原則」も日本では効果薄ですし。
後は、運動に関わっている人たちの「思い」を考えながら、高尾プロジェクトはどのようにまとまっていくのか、みんなで知恵を出していきましょう。