「同行一人」(Part.1)

こんばんは、ラガーです。雨のそぼ降る金曜日、皆様いかがお過ごしですか?
さて、先週末の日曜日、高尾では「大火渡り祭」がありました。
 紹介サイト:【http://www.kanko.metro.tokyo.jp/topics/040309/4.html

13時から始まる予定の大火渡り祭でしたが、12時頃には三々五々参拝者にギャラリー、カメラ小僧に野次馬と人だかりが大きく大きく膨らんでいったのです。それもそのはず、何といっても年に一度、病気平癒や世界平和などを願う善男善女なら誰でも、くすぶる火の上を裸足で歩ける火渡り祭です。参加しない訳には参りません!
とは言え、「火の上」と書いたものの、実際一般参加者が歩く時には火は消えています。杉の枝をしこたま燃やした煙がもうもうとその余燼を残している以外は、特別修行色が濃い訳ではないのです。だって、そうですよね。腰の曲がったお婆ちゃんや年端もいかない子供も歩くんですから。炎のチラチラする前に立たされただけでも参加者激減ですね。

とまれ、何故ここまで高尾山には人が集まるのか。僕たちジャパンヤンググリーンズは自然の豊かさを通して高尾山に出会った訳ですが、それとは別に、「信仰の山」としても高尾山が有名だということは、特筆しておくべき事実です。以下の内容は『高尾山の自然・文化・歴史 文献資料集』(監修/高尾山自然保護実行委員会)に多くを拠ります。
高尾山のような山岳仏教真言宗天台宗が中心だそうですが、高尾山は真言宗のお寺です。言うまでも無く、真言宗の開祖は空海上人。弘法大師とも呼ばれる方で、最近では四国お遍路の流行などから空海の名を知る人も多いと思います。。高尾山登山道の6号路には「岩屋大師」と呼ばれる祠があり、上人の面影を今に伝えてくれています。
話を続けますと、明治14年、高尾山は従来の真言宗醍醐寺派から真言宗智山派、京都智薬院の末寺に変わり、明治31年別格本山という格付けになったそうです。この辺りの意味については聞かないで下さい。全然分かりません。。。
成田山新勝寺」(千葉県成田)、「川崎大師」(神奈川県川崎市)、「高尾山」(東京都八王子市)の三つを真言宗智山派の三大本山と呼ぶそうです。
 紹介サイト:【http://www.chisan.or.jp/chisan/index.html
智山派の目標は「生きる力 −安らかなる心で慈しみを−」と紹介されていました。あったかいですね。やさしい響きを持った日本語に接すると、とても幸せな気持ちになります。成田と聞けば「成田闘争」、川崎と聞けば「公害」、八王子と聞けば「圏央道」、こんな連想しか出来ない僕には、この業界(失礼!)、とっても新鮮です。

大火渡り祭では、一ヶ所にデンとこんもり盛り上げた杉の木の枝に、火を付け激しく燃え上がらせるのですが、その間信徒さんたちが読誦しているのが「般若心経」。真言宗の読誦経典です。「色即是空 空即是色」という文言や「羯諦 羯諦 波羅羯諦」等、一般に膾炙している言葉も多く散りばめられております。紅蓮の炎が燃え盛る中、高尾町にこだまして鳴り響く野太い般若心経の読誦は、私にビデオカメラを回す手を止めさせ、静かに瞑目合掌させる力に満ちていました。その時私は、閉じた瞼の向こうにありありと浮かんで来る、去る年の、ある一老人との出逢いを想い出していたのです。逆光の中を手探りで歩くような、想い出の回想を。

(次週に続く…)